裏コードと完全代理・第二回「ハーモニーの進む先」

前振り

 おはようございます。お世話になっております。音楽理論の化身、りんろんたです。

 本記事は、「裏コードと完全代理」と銘打って、真の代理とは何かってことを解き明かすシリーズの第二回目となります。今回のサブテーマは「ハーモニーの進む先」です。ハーモニーそれ自体が持つ、自然な性質を紹介します。

  • 第1回・ドミナントコードの定義
  • 第2回・ハーモニーの進む先(当記事)
  • 第3回・ドミナントモーションという現象
  • 第4回・完全代理と不完全代理
  • 第5回・対応スケールとテンション
  • 第6回・総概論

 本題に入る前に前回の「ピカチュウをワンパンで余裕」発言の補足をしておきたいのですが、実際のポケモンのゲームの話なら、ドンファンの進化前の「ゴマゾウ」くらい強ければ、ピカチュウをワンパンで倒すのは余裕なんだそうです。

musicplanz.org

前回のおさらい

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 とりあえずトライトーンっていう「えもいわれぬ恐れ」を抱かせるような響きになる2音がM3m7になっているコードのことをドミナント7thコードっていうんだよ、っていうのが前回のまとめってことになります。あんだけ長く書いたのに一文で済んだね。

 で、このシリーズの目的は、普通の音楽理論を十分に理解していることが大前提で、「真の代理」を完全に理解するまでの道筋を部分的に拾い集めてまとめることでより一層の理解を深めるのを目的にしてます。誰の理解が深まるかって、りんろんたの理解が深まります。他の人のことは知りません。

ハーモニーを支えるもの

 ところで、高さの違う音と音の組み合わせがひとつのハーモニーを形作るとき、最も低い音(ベース)がハーモニーの次の変化先としての支配権を取ります。それはなぜでしょう。

 以下の画像をご覧ください。

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 これは「ある曲にどんな高さの音がどんな大きさで含まれているか」を曲全体の平均で分析したグラフで、横軸が音の高さ(ヘルツ:Hz)縦軸が音の大きさを表します。右に行くほど高い音、上にいくほどでかい音。

 上の画像は鈴木雅之が歌ってる「違う、そうじゃない」を分析したものです。りんろんたのごく個人的趣味で恐縮です。

 他の曲でも試してみましょう。 世界的に超絶に有名な曲、Earth, Wind & Fireの「September」から。

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  OctorberじゃなくてSeptemberです。

 他に、広末涼子が歌ってる「MajiでKoiする5秒前」から。この曲のおかげでエレピとモータウンビートに目覚めました。この曲を「MK5」と略して呼びます。

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 ちなみにりんろんたは20年前にはすでに広末涼子にMajiでKoiしていました。

 とにかく、いずれの例でも、低い音ほど大きな音で鳴っており、高い音ほど小さな音で鳴っているということが分かります。

 どの曲でも、低い方から見ていけば、50Hzから200Hzにかけて、2つの「山」ができているのがわかるでしょうか。これ、楽曲におけるリズムの低音部ベースラインにあたる部分で、耳に聞こえてくる以上に、体に響いてくる部分ですね。

 そういうわけで、ハーモニーの重みが最も大きくかかる場所が最低音であるということになります。ハーモニーというものがそのうちで最も低い音から積み上がるように形作られたのであれば、ハーモニーの進む先を最も強く支配するのは低い音であると言えます。コードでいうとこのルートですね。

 このことをコード進行を選択する考えの中で以って最も中心に置こうとする主義を、MusicPlanzで教わる新標準音楽理論では「根音絶対主義」と呼んでいるわけです。りんろんたからの説明はそんな感じ。

 ちなみに、音楽理論をその身に宿すりんろんたの尻にはM3、口にはm7がついてると前回言ってましたが、ルートはやっぱり足についてます。普段はルートを使って歩いています。

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ドミナントモーション

 「ドミナントモーション」、これは「音が最も収まりの良い場所に進む現象」を本来的かつ端的に言い表す言葉です。

 実は、音の本質をより突き詰めていけば、コードはルートからみて完全四度となるような音をルートとするコードに進行するのが最も収まりが良いということになってます。

 そのことだけを踏まえて、ものすご〜く簡単に一曲作ってみました。

 C△7→F△7→B♭△7→E♭△7→A♭△7→D♭△7→G♭△7(F♯△7)→B△7→E△7→A△7→D△7→G△7→C△7→…と、純粋に完全四度進行だけを用いて延々とメジャー7thコードからメジャー7thコードに進行しているだけの曲です。鳴ってるのはコードトーンだけで、余計なもんは一切混ぜてません。ベースを中心にして聴いてると、なんとなーくハーモニーの重力みたいなのを感じ取れると思います。

 この曲のコード進行それ自体には、なんの破綻もありません。メジャー7thコードだけじゃなく、ドミナント7thコードはもちろん、マイナー7thコードやらトライアドでも完全四度進行なら破綻のないコード進行になっちゃいます。

 ただし、これに歌いやすくて覚えやすくて心に響くキャッチーなメロディをつけようとするのなら話は別で、特に正統な歌モノ楽曲としてこのコード進行で作曲するのは到底不可能でしょう。

 とにかく、コードそのものは完全四度に進みたがる性質を持ちます。なぜそうなるのかって本当〜〜〜の意味での理由については第3回「ドミナントモーションという現象」にて詳しく説明することにします。今の段階でつべこべ言うのは、「しょうがないおじさん」を呼び寄せる行為であると見なされて反則行為になりレッドカード、即退場です。ピピーッ!

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 「そうなってんだからしょうがねーだろ!」つって。

 とにかく、このハーモニーが完全四度進行したいという素直な気持ちに従って進行する現象こそが、「ドミナントモーション」という言葉の最も重要な定義となります。

トライトーンの重圧

 前回の記事でトライトーンは「えもいわれぬ恐れ」を感じさせる音程と言いましたが、それまでは大丈夫だったのに、トライトーンの響きを聴いた瞬間にトライトーンの響きのない方へと進みたくなるのです。

 人間は脆い生き物ですから、世間の重圧から離れて癒しを求めちゃうんですね。それで、最もエネルギーを使わずに楽になろうとするんです。トイレに行きたくて切羽詰まってる時に、わざわざ遠い方のトイレにいきませんよね。

 実際の音でいうとどうなるかというと、ドレミファソラシドって7つの音があって、ファっていうトライトーンがあるとしますよね。それが同時に鳴ってるとき、に進みたくなります。それが、最もエネルギーを使わずにトライトーンの響きから離れて、そんでもって最も気持ちよくなる方法になってるんです。

 このときのファとシ→ミとドの動きは、互いに逆の方向にある隣の音への動きになってます。そういう風にトライトーンの重圧から逃れるとき、それを指してトライトーンが解決すると言ったりします。

 ドとミを一番収まりのいいところに持ってる、一番わかりやすくて気持ちいいコードってな〜んだ?

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 答えはCです。ドミソです。あ、△ってのはメジャートライアドって意味です。

 

 念のため確かめてみましょう。


 このハーモニーの動き。なんだか「トイレで用を足した瞬間の爽快感」みたいな感じですよね。「アァァァァ…ハァ…」って感じ。

 というわけで、G7は、ルートが持っている完全四度への重力に加えて、トライトーンの重圧までかかっているので、C△にめちゃめちゃいきたくなるのです。がんじがらめの状態です。

ドミナント7thコードの性質

 ご飯を食べた後って、とくに便意や尿意がなくてもトイレに行きたくなりません?そこでたとえると、トライトーンっていうのは便意や尿意と同じ働きをします。

便意がないとき→トイレに行きたいけど行かなくても我慢できる

便意があるとき→トイレに行かないといけなくなる

 もっとマシなたとえでいうと、サウナから水風呂までの感じと一緒じゃないですかね?あれって我慢すればするほど気持ちいいですよね。でもサウナと水風呂だけが銭湯じゃねーだろ!ってお話ですよ。

 そういうわけで、ドミナント7thコードを楽曲に使おうとするとき、うまくいけば「気持ちの良さを感じさせられる」ということになります。しかしその一方で「進める道の可能性を極端に狭めてしまう」ってことになりかねないリスクがあります。

 GmajならCmajに行きたくはあるけどCmajに行かないことも選べます。しかし、G7ならCmajに行かないと我慢できなくなります。ドミナント7thコードとそうじゃないコードの間には、そういうコード選択の自由度の差があるわけですね。

 ようするにあれですよ。便意があればトイレに行かなきゃなりませんが、便意がない状態ならわざわざトイレに行かなくてもいいし、逆に、便意がなくても別にトイレには行ってもいいよね、って感じ。

ドミナントモーションの定義の中心部分

 というわけで、「(M3とm7の)トライトーンが解決する完全四度進行」のことを「ドミナントモーション」というわけです。G7→Cmajの進行がまさにそれで、考えられる限り最も強いエネルギーを持った進行ってことになります。

 しかし、この定義のうちで真に必要な部分は、完全四度進行の部分だけなのです。それで十分。

広い意味(広義)のドミナントモーション:あらゆる完全四度進行

狭い意味(狭義)のドミナントモーション :トライトーンが解決する完全四度進行

(もっと狭い意味のドミナントモーション:V7→Imajの進行)

 トライトーンの解決の有無でドミナントモーションの定義を狭める意味なんてないんです。

 たとえば、G7→C△7はトライトーンのうちシの音が十分に解決されていないわけですが、コードの一番大事な場所はルートであると考えるとするなら、十分に収まりのいい進行です。それはG△7→Cmajとか、Gmaj→Cmajとか、Gmaj→C△7とか、G△→CmでもGm7→Cmとかでも同じ。完全四度進行なら全部ドミナントモーションってことでいいんですよ。

Bφ7はG7とは違う

 ところで前回、Bφ7(Bm7-5)はコードトーンにB音とF音のトライトーンを持ってはいるけれども、G7とは違い、ドミナント7thコードの持つ能力を持っていないと説明しました。

 Bφ7とG7は、B音とD音とF音の3音が確かに共通します。

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 Bをルートとするコードは本来的にはEをルートとするコードにドミナントモーションしたいわけです。

 G7の場合だと、G音がルートになっているがために、その完全四度のC音をルートとし、かつそれに対して長三度のE音が綺麗に積み重なってるCmajっていう理想的なコードがあります。そこに進行することで、コードの重力にも従う、トライトーンの重圧からも効果的に逃れられる、っていう何かよくわからんものすごい力学が働いてます。

 しかし、Bφ7の場合だとトライトーンの解決先が未確定の状態になってるんですよね。Eに進行すること(あるいはEを含むコードに進行すること)だけが確定してる。

 Bφ7ちゃんはこんなことを思っています。

Eルートのコードに進むのが一番収まりが良さそうだけど、Eからどうコードトーンを積み重ねれば、私の便意(トライトーン)はおさまるのかしら…?

 哀しいことに、コードそのものの重力トライトーンの重圧にズレがあるのです。

 BからCまでが半音で動き、一応ながらトライトーンからも逃れられているので、Bφ7→Cの半音上への進行にはある程度の解決感はあるわけですが、G7→Cの説得力には全然及ばないんですよね。シとファのトライトーンがドとミに解決する確定的な動機が生まれるのは、それらがM3とm7に置かれた時だけなんです。

単にコード構成音が似ているだけ

 巷の音楽理論書だとG7の代理としてBφ7が挙げられますけど、それが代理として扱われる根拠として「構成音が似ていること」がよく挙げられてます。

 しかし、「ルートが違う」ことが、「構成音が似ている」ということ以上に、コードの性質に大きな影響を与えるのです。ハーモニーの重みがある場所、ハーモニーの積み重ねられ方が違いますから。

 たとえ、コードの構成音がひとつ残らず全く同じでも代理できるわけじゃないですからね。たとえば、CmajとCmaj/GとCmaj/E。ドミソとソドミとミソドっていうベースの違いで、「コードの転回形」だとか、MusicPlanzだと主に「インバージョンコード」って呼ぶのですが、破綻気味の中途半端な置き換えしかできなかったり、置き換えられたとしてもサウンドが随分と変わります。

 その場合だと、「ハーモニーが三度で積み重ねられているかどうか」がサウンドに影響してるんですね。これはめちゃめちゃ重要なことです。このシリーズとはまた違うとこで、例を出しながら説明して見ようかなと思います。

 このシリーズで説明する完全代理、すなわち真の代理には、そういう中途半端な部分は全くありません。そもそも代理だからって何ができるの?って、ちゃんとした音楽理論ってのは、そこを説明しとかないといけないんですよ。それがあるべき姿なんちゃうかと思うわけです。そこんとこは新標準音楽理論がちゃんと説明してます。

 おわりに

 申し訳ないほどの長文で、大変お疲れ様でした。ここまでで、ドミナント7thコードとドミナントモーションの前提知識はおさらいできました。

  MusicPlanzの授業ではそこんとこMajiでWakaりやすく教えられてます。これをMJMWと略したりします。しません。りんろんたはそれを自分の言葉で解説しようとしているだけです。わしの言葉で理解できぬのならMusicPlanzにやってくるのじゃ。そして思う存分音楽理論を語ろうぞ。

 というわけで次回は「ドミナントモーションという現象」と銘打って、ドミナントモーションについて、倍音という物理現象とそれを知覚する人間の心理現象という両方の視点から説明してみたいと思います。